昔の解体工事はどのように行われていたのか
もしもあなたが建物を解体したいと思ったら、どのようにして解体工事を行いますか?
この問いに対して、誰もが「解体業者に工事を依頼する」と答えるのではないでしょうか。
今では当たり前となっているこうした解体工事のカタチですが、かつての工事は現在とは大きく異なっていました。
今回は、そんな知られざる昔の解体工事についてお話ししたいと思います。きっと現代技術発展の偉大さと、昔の人々の大きな苦労を感じることでしょう。
現在の解体工事の流れ
建物を解体する際、まずは解体業者にその工事を依頼します。その後、解体業者によって見積書が出され、契約を交わします。
契約後、解体作業前にはまず準備作業を行います。この準備作業とは、仮設設備 (足場) の組み立てのことをいいます。この仮設設備に養生シートを張って建物の周りをぐるりと囲みます。こうすることによって、解体工事の際に発生する騒音や粉じんの対策となります。
準備作業が終わると、いよいよ解体作業に移ります。まずは建物内部の解体を行います (内装解体) 。
ここでは、手作業で撤去できるもの (畳、サッシ、住宅設備機器、タンス、断熱材など) を撤去していきます。続いて、建物本体の解体です。重機 (油圧ショベル) を使って建物を壊していきます。解体工事というと、多くの人がこの場面を思い浮かべるのではないでしょうか。
こうした重機を使った解体作業は、ただグシャリと壊しているだけと勘違いされがちですが、決してそうではありません。解体作業で出た廃材は法律により分別することが義務付けられているため、建物を壊しながら分別を行います。
こうしてすべての解体が終わると、地中に廃材が残っていないかチェックして、問題がなければ地面を平らにして整地します。
これで解体工事は終了です。これが現代の解体工事の流れとなります。
昔の解体工事 (明治時代)
令和の時代に入った現代、そこから遡ることおよそ150年前の明治初期。解体工事を専門に行う業者が誕生したのはこの頃であると伝えられています。
こうした解体工事を専門に行う人たちがいない時代は、自分たちで建物の解体を行うほかありませんでした。
その一方で、こうした解体作業を建築に関わる職人たちに依頼していた人も多くいました。こうして本来の仕事ではない解体作業を請け負っていた大工職人たちが、やがて解体作業を専門に行うようになったのです。これが今でいう解体業者の成り立ちです。
昔の解体事情
ここからは、解体業者が誕生する以前の解体作業の流れを解説していきましょう。
現代では、強固な構造である「鉄筋コンクリート造」や「鉄骨鉄筋コンクリート造」の建物が当たり前となっています。こうした頑丈な建物でも、油圧ショベルなどの重機を使えば容易く壊すことができます。
明治初期以前は当然のことながら、油圧ショベルなどのない時代です。建物といえば、鉄筋コンクリート造や鉄骨鉄筋コンクリート造の建物などはなく、皆一様に木造でした。
「鉄筋コンクリート造」「鉄骨鉄筋コンクリート造」これらのように盤石とはいえない木造とはいえ、これを手作業で壊すとなれば、それが大変な作業となることは想像に難くないでしょう。
昔の解体工事のカタチ
解体業者がいなかった時代には、いわゆる素人の人たちが解体作業を行っていました。
主に使う道具はバールです。これで手作業にて建物を解体したのです。家族や親戚、近所の人たちに協力してもらい、大人数でその作業を行いました。
こうした時代は木材が貴重であり高価であったため、古材であっても非常に重宝されました。そのため、解体する建物の木材は再利用するために丁寧に取り外されていました。その中で再利用できない廃材は空き地などで野焼きして処分していました。今では考えられない光景です。
ちなみに、解体業者が誕生してからしばらく経った昭和の中ごろ (昭和30~40年) においても、自ら建物の解体を行う人がいたといわれています。そう考えると、現在のように解体業者に解体作業を依頼するというカタチが定着したのは、そう遠い昔ではないことが分かります。
終わりに
以上、今回は解体業界の歴史についてお話ししました。現在では当たり前の存在である解体業者ですが、かつてはこうした人たちがいなかったという事実を意外に感じた人もいるのではないでしょうか。
それもわずか150年ほど前ということですから、解体業界の歴史はまだ浅いということが窺えます。
解体業者もなく、重機もない時代。自ら解体作業を行っていた先人たちに敬意を払うと同時に、文明の利器の進化と解体のプロフェッショナルたちの存在に感謝したいものです。