解体されるスラム街、『ヴァンダの部屋』の眼差し -解体工事と映画-

2018年11月30日解体工事面白コンテンツ

解体されるスラム街、『ヴァンダの部屋』の眼差し

 

今回は、解体工事がテーマとして出てくる映画をご紹介しようと思います。その映画は『ヴァンダの部屋』という、ポルトガルの映画監督ペドロ・コスタが2000年に撮影した作品です。上映時間、なんと180分!

 

舞台はリスボン市中の、移民たちが多く住むスラム街フォンタイーニャス。街中に響き渡るブルドーザーやショベルカーの音。今まさに、フォンタイーニャスは解体されている最中。そんな工事による轟音が町全体を支配する中に、ある家の小さな部屋の片隅に、この物語の主人公であるヴァンダは暮らしています。近所には妹と母親も住んでいるのですが、会えば喧嘩ばかり。彼女たちの近くに暮らしているのは、近いうちにこの街から引っ越そうと考えている黒人の青年、バンコ。

ヴァンダたちは特に何をするでもなく、毎日麻薬を吸引する事にいそしみ、とりとめのない会話をするだけ。街がノイズと共に確実に消えていく中で、彼女たちは何を目的とし、何をしたいのでしょうか?

 

あらすじを書き出すといかにも劇映画のように思われるかもしれませんが、どうもそういう具合に行かないのがこの映画の不思議なところ。

まるでドキュメンタリーのように、ヴァンダをはじめとする人物たちや街が工事によって壊されていく様子を捉えています。僕もはじめは、この映画をドキュメンタリー映画だと勘違いして観ていました。

カメラは常に据えっぱなし、演技なのか素なのか分からない人物たちの動き、物語の起伏がほとんど見られない点…… 事実、本作は2001年の山形ドキュメンタリー映画祭において、最優秀賞と国際批評家連盟賞を受賞しています。

 

しかし、そのような「ドキュメンタリーか、フィクションか」といった議論など意味をなさない作品でもあります。本作の「光」の描き方は、普通のフィクション映画でもここまでこだわらないだろうと思うくらいに凝ったもの。

「ある種の、静かな諦め」が作品全体を覆っている中、ヴァンダたちが暮らしている部屋の中に差し込んでくる光はとても美しいものです。

ペドロ・コスタ監督は、約2年間このスラム街で暮らし、本作を撮っていたそうです。劇中の光も、そうした長い時間をかけて撮られたからこそ獲得できた奇跡の光なのかもしれません。

 

そして、音もこの映画を観る際の注目ポイント。工事の作業音が全編に渡って流れ、しかもノイズのように響いています。まるで音の壁が築かれているような感覚。そこから抜け出すのは難しいのではないか、ヴァンダたちはあの音の壁に向かうほどの元気は無いのだろうな、など様々な事を考えさせます。

屋外の音に対して室内、つまり人物の会話は普通、もしくは普通より控えめな音なので、単なる会話も秘密の話に聞こえてくるから面白いものです。

大胆極まりないけれども、同時に凄く繊細な音も設計している映画です。

 

本作はヴァンダたちの社会的状況であるとか、ポルトガルの移民問題、麻薬問題等を告発する映画ではありません。ドキュメンタリー/フィクションという垣根すら意味をなさない映画なのですから。

ただ、そこに映画がある。

工事によって消えていく街並みに何かの象徴を見出しても良いし、延々と麻薬を吸引し続けるヴァンダたちに「まったく共感できないな!」と思うのも自由。180分という長い上映時間の中で、ヴァンダたちの生活をさながら一緒に過ごしている錯覚まで起こってしまうかもしれません。単に「長かったなぁ」だけでは終わらせない、圧倒的な映画体験。それが本作『ヴァンダの部屋』の魅力でしょう。