映画『哥』に見る日本の崩壊 -木造古民家-

2018年11月30日解体工事面白コンテンツ

「木造古民家」と聞いて、皆さんはどんなイメージを抱くでしょうか? 田舎、囲炉裏、農業、其処へ行くにはマイカーかバス…… 様々なイメージがあるかと思われます。

今回は、古民家を舞台とする一本の邦画を紹介します。

1972年に撮影された『哥(うた)』という作品で、監督は実相寺昭雄。この実相寺監督はウルトラマンやウルトラセブンでカルト的人気のある回を監督している方であり、特撮ファンには馴染み深い方です。事実、僕もウルトラマンからこの方を知りました。まるで凝りに凝った写真のような画面が全編に渡って展開されるという、一発見ただけで「あ、実相寺さんだ」と分かってしまう、個性の塊なお方です。

 

そんな実相寺監督は60年代後半にウルトラマンなどテレビの仕事をした後、自分のプロダクション「コダイ」を立ち上げ、映画の世界に進んでいきます。

70年に長編第1作『無常』、71年には第2作『曼陀羅』、そして72年に本作『哥』を撮ります。この3作品は、一般的に「実相寺監督の日本三部作」と言われています。日本の家族制度、仏教観、死生観、当時巻き起こっていた学生運動の余波など、古来から現在に至るまでの日本の問題を、アクの強い映像で美しく撮っています。

 

時価数億とも言われる丹波篠山の旧家、森山家。書生見習いの淳(演:篠田三郎)は、家を護ることを母から言い渡され、朝の9時から夕方の5時まで時計のように正確無比に働いている。

森山家には長男で弁護士の康(演:岸田森)妻の夏子(演:八並映子)、住み込みの書生見習い和田(演:田村亮)、お手伝いの藤野(演:桜井浩子)がおり、和田と藤野は他の人間の目を盗んで男女のかかわりを持っている。最近夫との交わりがない夏子はそれを知り、淳を誘惑するようになる。そして、東京から行方知れずとなっていた次男の徹(演:東野英心)が戻って来た……

 

淳以外の森山家の人々は当時の近代的な物の考え方をする人々であり、いつまでもだだっ広いだけの山や家を持っていても仕方ないから、人手に渡して自分たちは好きに生きようと考えています。特に東京から戻って来た次男の徹は快楽主義の塊のような男であり、一時の快楽のために家のお金を使いこんだり長男をたぶらかしたりします。長男の康も優柔不断な性格ではあるものの、旧家の伝統だとかにはこだわりがない様子。

 

そこに出てくるのが、森山家とは関係のない(本当は当主と召使いとの間に生まれた不義の子。しかし当人はそれを知らない)淳という青年。彼はロボットのように、毎日家を掃除し、深夜の見回りをし、長男の仕事の手伝いをします。全ては、森山家を護ることにつながっているためです。あまりにもブレない姿勢に、他のみんなはドン引き状態。

夏子の誘惑に乗ってしまうのも、「他の場所で男を作られたら、森山家の名誉にかかわる」という理由。奥さん、それでもいいんですか。

そんな淳が心安らぐのは、仕事が終わってからの書道。近くの墓場へ行き、そこの墓石の拓本をとって書の手本とするほどです。

 

しかし徹が帰ってからは、森山家の山林売却計画が本格的に動き出します。実際、彼らにとっては宝の持ち腐れでしかないのです。話が着々と進むなか、淳ひとりが待ったと言います。森山家の山林こそ、急速に失われつつある日本の家の象徴、最後の砦なのだと言います。彼は伝統に殉じる覚悟を持っています。果たして……

 

モノクロのシネマスコープに映る日本家屋、山々。それらは静かに美しく、其処にあります。その美しさが失われるとき日本が死ぬのだと、本作は語ります。

前二作に比べ思想的にも人物の配置的にも分かりやすい本作は、実相寺映画の入門としてオススメの映画です。