【赤プリ】赤坂プリンスホテル解体について解説!
いまだ記憶に新しい『赤坂プリンスホテル』の解体。
長年「赤プリ」の愛称で人々に親しまれてきましたが、2011年3月の閉鎖で56年の歴史に幕を下ろしました。
バブル経済期のシンボルであった赤坂プリンスホテルの解体に、どこか寂しさを感じたという人は多いのではないでしょうか。
今回は、そんな赤坂プリンスホテルの解体について解説したい思います。
赤坂プリンスホテルとは
開業は1955年。その後1983年に高さ約140m、地下2階40階建ての新館が開業し、赤坂見附を見下ろす姿が印象的なランドマークとなりました。
バブル時代にはトレンディスポットとして人気を博し、バブル景気の象徴ともいえる高級ホテルとして成長を遂げました。
芸能人やスポーツ選手など、著名人の結婚披露宴や記者会見で度々利用され、その様子をテレビでよく目にすることができたのは多くの人が知るところでしょう。
2011年には、「東京電力福島第一原子力発電所事故」によって避難した福島県民の受け入れ施設となり、4月9日から6月30日までのおよそ3ヵ月間被災者の受け入れをしました。
世界が注目した赤坂プリンスホテル解体
当時、話題となった赤坂プリンスホテルの解体。この解体工事を請け負ったのは大成建設・西武建設JV (共同企業体) でした。
解体する赤坂プリンスホテルの高さはおよそ140m。これは国内で解体する建物としては最高の高さとなりました。
一般に解体する建物が高くなるほど、工事による騒音の拡散や粉じんの飛散、解体ガラ (コンクリート片) の落下等に対する対策が重要となります。そこでこの工事に適合した解体工法として採用されたのは「テコレップシステム」でした。
「テコレップシステム」とは?
テコレップシステムは大成建設によって、高さ100mを超える超高層建物特有の問題を解決し、安心・安全で地域環境に配慮した新工法として開発されました。
この工法の特長となるのは以下の通りです。
資材の外部への落下リスクがゼロになる
解体工事のコストダウンが期待できる
外部への騒音伝搬や粉塵飛散が大幅に低減できる
工期短縮に期待ができる
人口密集地域や狭い敷地、高層建物が隣接している等の立地条件でも工事が行える
このことからもお分かりいただけるように、この「赤プリ」解体に採用されたテコレップシステムは地域にとっても、解体工事の施主にとっても、非常に大きなメリットをもたらしたものでした。
同社はこの工法により、解体工事の概念を「壊す」から「分解する」へ塗り替えることを目標に掲げ、赤坂プリンスホテルの解体工事に臨みました。
「目立たないように美しく解体する」
テコレップシステムを導入したこの解体工事のコンセプト通り、「赤プリ」はまるで建物が静かに縮んでいくように解体されていきました。
それまで誰も見たこともないこの解体工事の様子は、国内外で当時話題となりました。
「赤プリ」解体工事の解説
赤坂プリンスホテルの解体工事は、当初2011年9月に開始されることになっていました。ところが諸事情により工事開始が大幅に遅れることとなり、工事は2012年6月から行われました。
この解体工事ではまず、最上階の外周に防音パネルを取りつけた専用の足場を吊り下げ、建物上部に閉鎖空間をつくりました。
この閉鎖空間で鉄骨柱や梁、床などを重機やガスの熱で溶断しながら解体を進めます。この作業の後、屋根をジャッキダウンするという工程を繰り返して建物を縮めていくというのがこの解体工事のプロセスです。
屋根と足場の総重量は実に1,500トンにも及び、これをわずか15本の仮設柱で支えていました。
一度のジャッキダウンでは、建物の2階分のほどの高さ (6.4m) を下げます。このジャッキダウンには4時間ほど要します。
2階分の解体と屋根のジャッキダウンを1セットとし、この1セットの工期がおよそ10日であったといわれています。
赤坂プリンスホテルは地下2階、40階建てだったので、都合20回のジャッキダウンを繰り返すことで地上部分の解体は終わるよう計画されていました。
こうして地上部分の解体がすべて完了すると、「赤プリ」跡地の新築工事を手がける鹿島・鉄建・熊谷組JVによって地下部分の解体が行われました。
この解体工事の完了は2013年5月を予定していましたが、最終的には2か月後の同年7月に工事が完了しました。
終わりに
当時、日本中が注目した赤坂プリンスホテルの解体。類を見ない革新的なその解体工事の手法は解体業界に大きな変革をもたらしました。
動画投稿サイトにはその解体工事の様子がアップされ、世界中の人々が日本の技術に賞賛を贈っています。
2013年、赤坂プリンスホテルは”赤プリ”の端正でゴージャスなイメージを保ったまま、静かにそして華麗にその姿を消しました。
感動すら覚えるその解体工事の一幕は、今もなお語り継がれています。